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2024年08月15日 18時42分

終戦から79年 「同じ経験してほしくない」朝鮮半島から引き揚げた女性の証言

太平洋戦争の終結から15日で79年です。
戦争で父を亡くし、朝鮮半島からの引き揚げを経験した都城市の女性は、今の子供たちに同じ経験をしてほしくないと戦争の悲惨さを伝える活動を続けています。

(藤田 悦子さん)
「誰も助けてくれる人はいない。戦争が終わって焼野原、その日 食べるのがみんな精一杯。一番困るのは子供」

今月1日、都城市の志和池中学校で行われた平和学習。
生徒たちに自らの戦争体験を語るのは
都城市に住む藤田 悦子さん・86歳です。

(藤田 悦子さん)
「いつ突然どうなるかもわからない時代になっているから、なおさら自分が何ができるかを子供たちが考えることが必要だと思って語り部をやっている」

1938年、軍人だった父が駐在していた朝鮮半島の京城で生まれた藤田さん。
これは 終戦の1年前、戦地に出兵していた父から藤田さんに送られた手紙です。

「悦子ちゃん。たびたび手紙ありがとう。お母さんのことよく聞いてお利口にして遊びなさい。お父さんとても元気です。サヨウナラ」

手紙が届いた1カ月後、父は帰らぬ人となりました。

そして、1945年8月15日。
藤田さんが7歳の時に日本は降伏。
藤田さんが暮らしていた朝鮮半島にもアメリカの進駐軍が入ってきました。

(藤田 悦子さん)
「軍人の家族は殺されるというのをみんな信じた」
「はやく荷物をまとめて日本に帰れと朝鮮の京城に在留している日本兵から連絡があった」

終戦の時に海外にいた日本人はおよそ660万人。
その一人となった藤田さんが今も鮮明に覚えているのは、
逃げる時に駆け込んだ駅の光景でした。

(藤田 悦子さん)
「朝鮮人の女の人たちが、日本人を捕まえて脱がすんですよ。

私が覚えているのは、指輪とお金を引っ剥がしてる姿。すごく怖かった。

「進駐軍に見つかったら殺される。ガラス窓越しに中の様子が見えるからこっちに乗れ」と載せられたのが黒色のコンテナ車。

「そこでぎゅうぎゅうに押し込められて、息が苦しかった。窓がないから」

(藤田 悦子さん)
「戦争が終わって帰ってくるときに(引き揚げで)命を落とした子供もたくさんいた」

数日かけて、都城市に引き揚げることができましたがその後も苦しみは続きました。

(藤田 悦子さん)
「冬は靴下も履かず上靴もないから藁草履をはいていた。いっぱいあるんですけどね。これまで生きてきているんだから」
「戦争で飢えた子供たちは結局、戦争が終わってからも死ななければならないということがあった」

多くの子供たちの命を奪った戦争。

藤田さんは、「悲劇を二度と繰り返さないために何ができるか考えてほしい」と
今を生きる子供たちに訴えかけています。

(志和池中学校 3年生)
「自分の命も人の命も大切にして過ごしていきたい」
「この出来事を次の世代にも広めていきたい」

(藤田 悦子さん)
「こうしなければならないという感想を言ってくれた生徒がいた。良いなと思った。そこが欲しい。そう思ったことを考え続けてほしい」
「歩けて、口が動いて、目が見えて、耳が聞こえる間は(語り部を)やり続けていくだろうと思う」

8月14日(水)

8月13日(火)

8月12日(月)

8月9日(金)

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