番組表
2025年01月16日 18時45分
「助けが必要な立場から声を」阪神淡路大震災からあすで30年 難病発症で見えた「共助」
1995年に起きた阪神淡路大震災から17日で30年になります。
被災地には全国から多くのボランティアが駆け付けました。
この時、宮崎からもボランティアとして被災地に赴いた男性がいます。
「支援する側」と「される側」。この男性が見て、感じた30年とは…。
宮崎市の甲斐敦史さん63歳。
全国パーキンソン病友の会の宮崎県支部で会長をしています。
当時電力会社で働いていた甲斐さんは、震災後ボランティアとして神戸に派遣されました。
(甲斐敦史さん)
「現場に入ったら目を疑うような状況。見るものも全部想定外だった。高速道路は倒れているし、一般道も渋滞で通れないし、木造家屋は倒壊。お寺は廊下まで布団が敷いてあって、亡くなった方の遺体だらけ」
鮮明に記憶に残るのは火災の現場。
甲斐さんは水の運搬作業に関わりました。
(甲斐敦史さん)
「通電火災と思われる火災があちこちで起こっていた。火災の現場には家が倒壊して生きたまま下敷きになって助けを待っている人もいた。声は聞こえるが火が迫ってくる」
大都市で起きた地震。
いたるところで火災が発生し、内閣府によると、阪神淡路大震災では地震の影響による火災は10日間で285件に上りました。
バケツリレーで地道に消火活動に当たる地域住民やボランティアの姿に甲斐さんは教訓を得たといいます。
(甲斐敦史さん)
「自助、共助、公助というが、自分の命を自分で守る準備も非常に大切だなと思ったし、共助の大切さも実感した」
甲斐さんは働き盛りの40代後半で、手足が震えたり動かなくなったりする進行性の難病パーキンソン病を発症しました。
(甲斐敦史さん)
Q.普段の生活で不便なことは?
「体が動かないこと。パソコンも1日2時間しか操作できない。午前中が調子が良いが、昼食をとったあとが効きが悪くなる。病気になると誰かのお世話になることが多くなる。特に家族には」
パーキンソン病を発症し生活が変わった甲斐さん。
いまはパーキンソン病患者の防災支援などを行っています。
パーキンソン病患者には体を動かすための薬が不可欠です。
全国パーキンソン病友の会では、去年、宮崎県に対し被災した際の薬の供給について要望しました。
(全国パーキンソン病友の会宮崎県支部・齊藤直司さん)
「(被災して)栄養剤や薬がない場合どうすればいいのか。宮崎県の薬の担当者の話では(すべて手配するのは)難しいということだった」
(甲斐敦史さん)
Q.どれくらいの頻度で薬を飲む
「1時間に1回くらい」
Q.量も多い
「そうですね」
薬は災害時、自主的に備えるしかありません。
パーキンソン病で自らが支援される側となった今、甲斐さんは「助けを必要とする立場から声を発することが大切」と話します。
(甲斐敦史さん)
「みなさんにはカミングアウトしましょうといっている。自分が病気になったら隠さずに隣近所の人に話しておくことが大切。勇気を持って言わないと」
宮崎県内には少なくともおよそ1180人のパーキンソン病患者がいると見られます。
30年前、被災地でボランティアとして「共助」に加わった甲斐さん。
病気のことを周囲に言えない人もいる中で、まずは同じ境遇の人と悩みなどを共有することが社会に対しても助けを求めやすくなるきっかけになるのでは…と考えています。