番組表

2025年03月28日 18時44分
戦後80年 アメリカ軍の空襲を受ける新田原飛行場 市民団体が映像公開
シリーズでお伝えしている「戦後80年~過去を知る、未来に伝える~」。3月22日、大分県で郷土史の研究を行う市民団体「豊の国宇佐市塾」が、アメリカ国立公文書館から取り寄せた戦時中の映像を公開しました。この中には、宮崎県新富町の旧陸軍新田原飛行場が空襲を受ける様子を収めたカラー映像もありました。
駐機された航空機へ放たれるロケット弾。その後も、機銃掃射による攻撃が続きます。
1945年5月14日、新富町の旧陸軍新田原飛行場、現在の航空自衛隊新田原基地は、アメリカ海軍によって空襲を受けました。
(郷土戦史研究家 稲田哲也さん)
「4月1日から始まった沖縄戦。沖縄を取り囲んでるのはアメリカ海軍の船。その船が連日、(新田原飛行場など)九州から飛んでくる飛行機によって特攻も含めた通常攻撃によって大損害だった」
郷土戦史研究家の稲田哲也さんは、新田原飛行場が狙われた理由を「沖縄戦が激化する中、新田原飛行場が日本軍の主要な攻撃基地の1つだったため」と話します。
稲田さんによると、映像を撮影した戦闘機の種類は、グラマン社が作った「F6Fヘルキャット」。スピードが出て、小回りが効くのが特徴です。映像からもその性能がよく分かると言います。
(郷土戦史研究家 稲田哲也さん)
「1~2回、ロケット弾を発射したあとに、機関銃を降下しながら撃って、地面と近くなった時に機体をぐーっと引き上げて逃げている感じということが分かる」
当時、アメリカ軍は、敵の軍艦などを撃墜できたか、戦果を正確に把握するために戦闘機にガンカメラを搭載していました。
こちらは、公開された映像を撮影したものと同じ型のアメリカ製のガンカメラです。
(郷土戦史研究家 稲田哲也さん)
「ひとむかし前のハンディカムくらいの大きさ。これが80年前にあって、この大きさでカラーで動画が撮れる」
一方、この当時の日本軍の戦果確認の方法は「目視」。稲田さんは、このカラー映像1つをとっても、当時の日米の国力の差を痛感させられると話します。
(郷土戦史研究家 稲田哲也さん)
「1機種あたり1~3万機(の戦闘機を)作る。アメリカは工業力が強いから。それらすべてにこのカメラがついている。ガンカメラ映像を見るにつけて、内容だけでなくてアメリカの国力を強く感じる。80年前のまごうことなき地元の映像が見られるというのは歴史的価値が高い」
80年前の空襲を記録したカラー映像は、戦争経験者が少なくなった今、現実味をもって宮崎も戦場だったことを伝える貴重な資料だと言えます。