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特集
2025年03月17日
波乱の道を歩む宮崎市出身落語家・吉原馬雀の挑戦(2025年03月15日放送)
宮崎市出身の落語家 吉原馬雀(本名:井上雄策)さん。
創作落語を専門とし、独特な語り口で観客を物語の世界へと引き込む 落語家です。
しかし、その落語家人生は決して順風満帆ではありませんでした。
師匠との確執、破門、裁判、そして再起。落語を愛する彼の大きな決断と挑戦を追いました。
落語家 吉原馬雀
1982年、宮崎市生まれ。
高校時代に文化祭で落語家のパフォーマンスを見たことをきっかけに、落語の世界に魅了されました。
東京の大学へ進学後、落語研究会に所属し、落語を始めます。
卒業後は一度は宮崎でサラリーマンとして就職しましたが、「落語家になりたい」という想いを抑えられず、再び上京。
2009年、念願の落語家デビューを果たしました。
現在、創作落語を専門として活動している馬雀さん。
現代の世情を汲んだネタを表情豊かに話す語り口は、多くの落語ファンに愛されています。
落語をはじめて約15年。
今年9月には、落語界の最高位である「真打」への昇進が決まっています。
しかし、馬雀さんの落語家人生は、順調なものではありませんでした。
破門と裁判 - 落語界を揺るがせた決断
師匠からの暴言や理不尽な指導、些細なことで破門を突きつけられるなどのパワハラに悩む日々が続いた2022年2月、馬雀さんは事実上の破門となり、活動を休止せざるを得なくなりました。しかし、その8か月後、馬雀さんの行動が落語界を震撼させます。
元師匠の指導は「人権侵害」にあたるとして、東京地方裁判所に提訴。
「前座」での厳しい修行を乗り越え、「二ツ目」で技を磨き、「真打」寸前まで来ていた馬雀さんにとって、師匠を訴えることは苦渋の決断でした。
「40歳を過ぎ、人生あと半分と考えたら、『これはおかしい』と思うことに対して声をあげようと思った」と話す馬雀さん。
2024年1月、東京地方裁判所は元師匠の指導における一部の言動は、人権侵害にあたると判断し、元師匠に対し賠償金を支払うことを命じました。
馬雀さんの勝訴という形で、一連の騒動に幕が下りました。
この裁判は、落語界でも大きな話題となりました。
その後の馬雀さんを迎えた、現在の師匠・吉原朝馬さんは、「落語界にある"カラスでも白といったら白にならなきゃいけない"という悪しき伝統を自分もおかしいと思っていた。師匠を訴えるという勇気に打たれた。」 と、馬雀さんの決断を支持。馬雀さんも、現在の師匠がいなければ今の自分はいないと話します。
今回の裁判を見守っていた落語仲間の三遊亭はらしょうさんは、一連の騒動を小説にした本『俺とシショーと落語家パワハラ裁判』を出版。
「落語史に残るこの出来事を、今後の落語の世界に残していきたい」と話します。
真打になることを祝し、母から贈られた着物を着て落語会に臨む馬雀さん。
家族からの応援がなかったら成り立たなかったと感謝の言葉を口にします。
「落語は人生。これまで嫌なこともありましたが、良いことも悪いことも全部含めて、自分の人生を語る上で欠かせないもの。」
東京の寄席を中心に活動する傍ら、地元・宮崎でも落語会を開催し、落語文化の普及にも力を入れています。
「若いうちに落語を見てもらえれば、決して敷居の高いものではないと分かってもらえるので、自分たちにとっては大事な機会」と語り、宮崎県内で子ども向けの落語ワークショップを開催するなど、次世代に落語の魅力を伝えようと奮闘しています。
未来への展望―落語と弁護士の両立!?
そんな馬雀さんが今、新たに考えているのが「弁護士になるための司法試験の受験」。
「落語は好きですが、これからの人生、違う道も考えてみたい。弁護士資格を取って、落語と並行して活動できたら面白いですよね。何年後になるか分かりませんが、親孝行できるようにしたい。」とはにかみながら語る馬雀さん。
落語家としてだけでなく、一人の人間として新たなステージへ進もうとする決意に満ちていました。