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特集
2025年03月24日
旭化成陸上部を支えた宗兄弟の軌跡(2025年03月22日放送)
旭化成陸上部で選手、指導者として長年活躍してきた宗兄弟。
双子の兄・宗茂(しげる)さんは、モントリオール、モスクワ、ロサンゼルスの3大会で男子マラソン日本代表に選出されました。
弟・宗猛(たけし)さんもモスクワ、ロサンゼルスの2大会で代表入りを果たし、まさに時代を代表する名ランナーとして活躍しました。
現役引退後は共に指導者として活動し、谷口浩美さんや森下広一さんといったオリンピック男子マラソン日本代表選手を育成するなど日本陸上界を牽引し続けました。
現在、旭化成陸上部の総監督を務める宗猛さんは、1971年に入社して以来、54年にわたりチームを支えてきましたが、この春、総監督を退任することとなりました。今回は、宗総監督の功績を振り返りました。
宗兄弟の陸上人生の始まり
1953年、大分県臼杵市で生まれた宗兄弟は、中学時代から陸上で活躍し始め、高校時代には全国高校駅伝に出場。
高校卒業後、陸上の名門・旭化成へ強い思いを持って入社しました。
「我々兄弟は、オリンピック選手になるんだという目標を持って会社に入りました。しかし、最初の入社面接で『オリンピックを目指します』と言ったところ、面接官からは『まずは九州一周駅伝をしっかり走ってほしい』と言われました。九州一周駅伝でいいの? と思ったこともありました。」と振り返る宗猛さん。
高い志を持って旭化成入りした宗兄弟は、入社2年目には延岡西日本マラソンに出場。
初マラソンながら兄弟でワンツーフィニッシュという快挙を達成しました。
その後も着実に成績を残し、入社5年目には兄・茂さんがモントリオールオリンピックに出場。しかし結果は20位に終わりました。
結果を受け、オリンピックに出るならメダルを取れるくらいでないと意味がないと感じ、次のオリンピックに向けて練習を重ねたと言います。
その後、4年間の努力が実り、2人揃ってモスクワオリンピック代表に選ばれましたが、日本がボイコットし、オリンピック出場の夢は叶いませんでした。
ロサンゼルスオリンピックでの挑戦
猛さんはその後も努力を重ね、ロサンゼルスオリンピックの選考レースで好成績を残し、再び兄弟揃って代表入り。
本番では猛さんが4位でゴールしましたが、真夏の暑さに苦しみメダルには届きませんでした。
- 【猛さん】
「夏のマラソンの経験がなかったため、ベストの状態で臨めなかったことが敗因でした。しかし、その経験が後に指導者として谷口浩美の東京世界陸上金メダルや、森下広一のバルセロナオリンピック銀メダルにつながったと思います。」
指導者としての功績
宗兄弟は、自らの経験を生かし、川嶋伸次や佐々木悟といった選手をオリンピックマラソン日本代表へと導きました。
特に猛さんは副監督として後進を育てながらも、45歳までマラソンに出場し続けました。
- 【猛さん】
「私自身が走りたいという気持ちがあったので、兄貴と相談して、走れる試合を選んで挑戦しました。自分の体を作り、レースで力を発揮することは非常に面白かったですね。」
旭化成陸上部の躍進と新体制
旭化成陸上部はマラソンだけでなく駅伝の世界でも結果を残し続けてきました。
九州一周駅伝では宮崎県チームの36回の優勝に貢献し、全日本実業団駅伝では史上最多の26回優勝という圧倒的な成績を誇ります。
猛さんは「チームが長年結果を出せたのは、会社の応援、社員の支え、地域の皆さんの応援があったからこそ。」と感謝の気持ちを口にします。
また毎年5月4日に開催される「ゴールデンゲームズ in のべおか」では、猛さんが大会運営にも尽力し、延岡市を"アスリートタウン"として盛り上げてきました。
総監督退任後の展望
この春、総監督を退任する宗猛さんが今後に期待することは?
- 【猛さん】
「日本選手も世界で通用する部分があるので、ぜひオリンピックや世界陸上で活躍する選手を、旭化成から輩出してほしいです。」
宗兄弟は選手、指導者としてだけでなく、日本陸連の強化委員としても陸上界の発展に尽力してきました。
4月からは宗猛総監督が顧問となり、西村功監督がスペシャルアドバイザーに就任。そして、新監督には三木弘ヘッドコーチが就任します。
今年も5月4日に「ゴールデンゲームズ in のべおか」が開催されます。
旭化成陸上部の新体制による活躍をぜひ応援してください。