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特集
2022年04月25日
住民わずか4人 支え合って暮らす「築島」(2022年4月23日放送)
串間市の沖にある築島。
対岸の舳港からわずか200mしか離れていない小さな島には、亜熱帯性植物のビロウが生い茂っており、別名ビロウの島と言われています。
築島に漁師の「近藤秀夫さん」と、その妻「勝子さん」の夫婦二人が暮らしています。
現在の築島の住民は?
築島真知子さん夫婦2人と我が家が2人の4人だけです。
寂しくはないですか?
やっぱり寂しいですね。寂しいけど、慣れないといけないと思っています。
築島の歴史
明治9年、愛媛県宇和島市出身の「山下藤吉」が島を61円で買い取り、姉弟3人で移住したのが始まりとされています。
その後、島は漁業で賑わい、時代が進むにつれて島民は増え続け、昭和48年には25世帯114人に増加。
しかし、平成に入ると島の人口は減少の一途をたどることになります。
子供達は高校進学と同時に島を出て行き、さらに高齢化が進んで島を離れる人が後を絶たず、今では近藤さん夫妻を含め2世帯4人のみとなってしまいました。
お買い物へ
近藤勝子さんは船の免許は持っているが、車の免許は持っていません。
買い物に行くときは、島から船で対岸の舳港に渡り、日南市に住む家族や築島真知子さんの車に乗せてもらっています。
買い物は毎回2週間分くらいを買いだめ。
買い出しを終え築島に帰島後、島の港からは自宅まで急な坂を上るため台車に商品を乗せ自宅へ運ぶ。
4月中旬1人の若者が築島を訪れていました。築島 宏樹さん(36)
1986年、築島で生まれた宏樹さんは中学を卒業するまで島で暮らし、高校進学と同時に島を離れました。
その後、名古屋の大学に通い、アパレル企業や東京のWeb 会社に就職。昨年17年ぶりに宮崎に帰ってきました。
- 【話:築島 宏樹さん】
僕がいた頃は、人が常にどこかにいて、港などは常に人が賑わっていました。
また、島の人皆さんはお話好きの方が多かったので、すごく可愛がってもらったっていう記憶があります。
ここが、僕が通っていた「市木小学校 築島分校」です。
もう廃校して数年経っているので、誰も手付かずっていう風な状態になっているかなと思います。
昭和9年、島の人口増加に伴い待望の「市木小学校 築島分校」が開校。
島民参加の「こいのぼり運動会」など様々な行事が行われ、子供の声が絶えなかった築島分校。
しかし、島の人口減少とともに生徒数も減り続け、平成28年に廃校となり81年の歴史に幕を閉じました。
- 【話:築島 宏樹さん】
自分が産まれたのは、島の人口が下り坂だったタイミングということもあって、築島の現状を見ると島のために何かしたいと思いつつも、「自分に何ができるのか?」という複雑な気持ちもあります。
3月下旬 築島沖
近藤秀夫さん・勝子さんがイセエビ漁の網上げへ。
日南市南郷町に住む長男:克浩さんが手伝いに来てくれた。
- 【話:秀夫さんの長男 近藤 克浩さん(マグロ漁師)】
たまたま帰ってきているので、親父の手伝いに来ました。
父親に高齢やから無理しないで「漁はもうやらんでもいいやろう」と言うけど、自分がしたくてやっているから・・・
俺も漁師やから親父の気持ちも分かるので、俺が口出す事でもないでしょう。
築島で生まれ育った秀夫さんに勝子さんが嫁いで60年。
島の住民は今では4人だけとなり、買い物や通院など不便なことも多いが、家族や友人の手を借りながら、島での生活を続けたいと願っている。
- 【話:近藤 秀夫さん、勝子さん】
島を出たくない。やっぱり住み慣れた所がいい。お父さんが築島で生まれてずっと島にいるので「俺はずっとここにいたい」と言っていた。ここでゆっくりのんびり暮らしているから、これからもそんな生活をしていきたい。島がいい、島で暮らしたい。