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特集
2019年03月18日
東日本大震災から8年 被災地 陸前高田市のいま(2019年3月16日放送)
今月3月11日、東日本大震災から8年を迎えました。
今回取材したのは2年前U-dokiでもご紹介した、岩手県陸前高田市役所で復興まちづくりに取り組んでいる永山悟さんです。
その永山さんに再び会いに行ってきました。東日本大震災から8年、被災地はどのように変わったのでしょうか。
2011年3月11日。未曾有の災害が東北地方を襲いました。
岩手県陸前高田市は震度6弱。最大で17.6メートルの津波が押し寄せました。
死者・行方不明者は1700人以上。町は1日にして瓦礫の山と化しました。
U-dokiは2年前、震災後陸前高田に移住した宮崎市出身の男性を取材しました。
陸前高田市役所で復興まちづくりに取り組む永山悟さんです。
2年前永山さんは「住んでいく人が笑顔で暮らしていけるまちにしたい。」と話していました。
取材から2年経った今、町はどのように変わっていったのでしょうか。
実は永山さんと児玉アナは高校時代の同級生。
永山さんは高校卒業後、東京大学工学部に進学しました。
景観デザインやまちづくりについて学び、大学院を卒業後、都内の都市計画コンサルタント会社に入社しました。
震災は社会人になって3年目の春を迎える頃でした。
「こんなことが実際に起こるんだなと唖然とした。被災地で働きたいと思った。今回の津波は千年に一度と言われているぐらい凄まじいもので、そういうタイミングで都市計画の仕事をしているのはなかなかないので今、自分が仕事として何をするかといったらこういう事が一番社会の役に立てるのではないかと思って被災地で働きたいと思いました。」2年前、永山さんはそう話していました。
震災をきっかけに陸前高田市に移住し、市役所に入庁後は震災後1本だけ残った奇跡の一本松の保存事業に携わりました。
保存事業の修復に募金を使うことに批判もあがり賛否両論の中、一本松を心の支えとしている人達からの応援の声を糧になんとか前に進む事ができたと話します。
2年前に行った高台に、今年も連れて行ってもらいました。
そこから見えたのはたくさんの家、道路、そして小学校。
2年前はまださら地だったこの場所に、街ができていました。
ずっと1人ぼっちで寂しかった一本松が、ようやく周りができて喜んでいるように見えると永山さんは話します。
新しい中心市街地には大型商業施設アバッセたかたが2017年にオープンしました。
その近くには旧市街地にあったお店も営業を再開。
さらに図書館や公園、イベントスペースを設置することで街に人が集まるようにしました。
津波前から人気のあった店が復活して嬉しいと街ゆく人々は話します。
永山さんも「図書館に来る人も買い物してほしいし、買い物をする人も図書館に行ってほしい。人が人を呼ぶので街として復活してきたのはうれしい。」と話します。
永山さんは都市計画課の係長として復興まちづくりを担当。
商店主や住人の声を聞いて街づくりに反映します。
さらに景観デザインを学んだ経験を生かし、自らアイディアを提案することもあります。
段差がなるべくないような歩道のデザインや通り沿いにお店がせり出して商店街のような雰囲気を作るため、駐車場を裏に作るなどの工夫がされています。
「昔からある商店街のように、歩きながら買い物も楽しめる街にしたい。」そんな永山さんの思いが街づくりのあちらこちらに反映されています。
商店主に理解を呼びかけるため、手書きの地図を配布し地道な活動にも力を入れています。
陸前高田で江戸時代に創業した磐井さんのお店では、震災で津波の被害にあいました。
その後市内を転々としながら営業を続け、一昨年新市街地に店をオープンさせました。
店主の磐井さんは「開店前と開店後では建物が立ったのもそうだけど、本当に変わった。市民の反応も明るくなりました。まさに今からですね。」と話します。
行政と民間の架け橋として奔走する永山さんは商店主にも認められています。
磐井さんは「永山さんが仕事ができるというのはお付き合いしていればわかるんですが、それだけじゃない。このまちを好きになってくれている。今やこのまちの仲間、メンバーの1人です。」と話します。
「毎年この日を機にちゃんと自分が責任を果たせているか。仕事を頑張れているかを自分で問いかけるタイミングになっている。命日の人が多い日だから違った雰囲気は感じる。」永山さんは話します。
この日永山さんは宮崎出身のインターシップ生に会いに行きました。
現在沖縄の大学に通う田代朋子さん。
復興・創生インターンを利用して陸前高田に約1ヶ月滞在しています。
震災の時小学6年生だった田代さんは、被災した街を宮崎のニュースでしか見たことがありませんでした。
その時に感じた実際どうなっているんだろうという思いが今に至ります。
田代さんのような学生を永山さんは「8年も経っているから皆さん忘れがちだけど、こうして若い人が来てくれるのはすごく嬉しい。こうして来て学んだり観光してくれたりするのが今の一番の復興支援になると思う。」と話します。
昨年永山家には陸前高田の未来を生きるかけがえのない存在が誕生しました。
わざと人前を通って愛娘を自慢しているという永山さんは「自分が生まれた所ではない陸前高田だけど子供が生まれ、その子供が生まれ育っていく街の仕事をするのはより気合いが入る。」と話します。
そして今、新しい道の駅を作りそこを核とした追悼記念施設が今年秋にオープンします。
町の暮らしを再建すると共に震災を忘れない刻む場所として、国も陸前高田市もそれを伝えていくために施設を作り、古くから地域に親しまれてきた高田松原で陸前高田の風景を未来に残すためのプロジェクトが進められています。
永山さんはここに来て7年。
「あっという間がする一方でまだ仮設住宅に住んでいる人もいてその人達にとっては長く感じている。復興の仕上げがあと1~2年かかるけど決してあきらめずにこれからが本当の出発になるので、市民一人一人が主役になるようなまちづくりをしてこれから外からも人が来てくれるようなまちづくりになればいいなと思います。」と今の思いを語ります。
まちづくりは人づくり。
永山さんが再び魅力的なまちを目指して奮闘する姿を誇りに思いながら、私たちもまだまだ色々な形で復興支援をしていかなければなりません。