番組表
ヒューマン
2019年04月01日
No.55 アートディレクター 堀内弘誓さん(高鍋町出身)(2019年3月30日放送)
とある休日の昼下がり、大自然に囲まれた開放的な空間。
都会からの喧騒を離れキャンプを楽しむのが彼の日課です。
今回ご紹介する方は、高鍋町出身のアートディレクター堀内弘誓さん。
巨大なテントを張りながら「自分の世界ができあがる。家を一軒建てている感じ。」と無邪気で語る少年のような堀内さんの周りには、いつも自然と人が集まります。
堀内さんのこだわりは「どの仕事でも85点以上は出したい。」ということ。
そんな彼が手がけた作品は私たちの暮らしの中に浸透しています。
言わずと知れたあの人気キャラクターは堀内さんの独創的な発想から生まれました。
回転寿司チェーン最大手のスシローのロゴも彼が手がけた作品です。
そんな堀内さんのことを「これを出すことで何が起こるか、まで考えている。」と株式会社人間 代表取締役 山根シボルさんは話します。
また、株式会社電通 ビジネスデザイナー 野上亮さんは「アートとビジネスの2つの武器を持っているだけでも凄いことですが、それに人間たらしというか、ヌルっと人との関係性をつくるのが上手い。」と言います。
社会に影響を与え続けているアートディレクター堀内弘誓さんの魅力に迫るため、東京原宿にある堀内さんの職場を訪ねました。
するとそこには街並みの一角に佇むアウトドアショップがあり、店内を彩るのはオリジナルのキャンプ用品やビンテージの数々。
堀内さんはフリーのアートディレクターとして活動しながら、このお店の総合プロデュースも手がけているのです。
アートディレクターとは?
「ポスターやチラシなどの平面物の画づくりの方向性を決める人(視覚的表現の指揮をとる責任者)。おしゃれなデザインを作り上げる仕事ではなく、クライアントさんの思いを伝えることや問題を解決することがアートディレクターの仕事だと思っています。」と堀内さんは語ります。
デザインの方向性を決め、問題を解決するアートディレクター。
その中でも堀内さんは高い造形力を武器にイラストから商品の開発に至るまで一貫したクリエイティブを提供できる強みを持っています。
「課題を与えられた時にそこから勉強します。自分の専門じゃないからできませんとは言わない。一回考えてみます、から始めます。自分なりにどう解決できるかを毎回やってみている感じです。」と堀内さんは話します。
1971年 高鍋町で生まれた堀内弘誓さん。絵を描くことが大好きな少年でした。
「取り柄があると自分では思っていなく、自分では裏方人材のように思っていた。教室で言えば真ん中では絶対にない端っこに寄っている人間。人を引き立ててあげたい。真ん中に立ちたい人を引き立ててあげられるなら端っこにいる人間の冥利に尽きるんじゃないかなという考え方ですね。」と学生時代から変わらぬ自身の想いを語ります。
高鍋高校を卒業後、二浪して多摩美術大学へ進学。
その後大手広告代理店電通に入社。本格的にデザインの道へと足を踏み入れます。そして主役を引き立てる生き方があの人気キャラクターを生み出します。
「たまたま僕のいた部署の隣の部署がミスタードーナッツを担当していた部署でした。当時ポン・デ・リングという偉大な商品が1周年1を迎える時で、その1周年のコミュニケーションを考えて欲しいという依頼がきました。オリジナルキャラクターが企業のアセットになれば、ある意味企業の経営にコミットすることになる。要するにデザイナーのくせに経営に口を出すという状況がこれによって作れるんじゃないかと雷を打たれたような気持ちになり、そもそもその思いでアートディレクターになったのだったらこれはチャレンジしなきゃいけないと思って取り組みました。」と堀内さんは当時を振り返ります。
実はポン・デ・ライオンが生まれるまでに200体くらいは没案があったそうです。
堀内さんがポン・デ・ライオンを作るにあたって一番大事にしていたものは「ドーナツを主役にする」こと。
キャラクターをモチーフにしたグッズを持ち帰るとお客さんはドーナツをもう一度見ることになる。
そうするとまたドーナツを食べたくなる。このぐるぐる回る良いサイクルが作れるのではないかと堀内さんは考えました。
「ミスタードーナッツのビジネス、ブランドイメージに貢献できたと思えば一番嬉しいです。」と話します。
さらにカラダの動きを音にする「SONYのモーションソニックプロジェクト」。
新たな音楽体験を想像するこのプロジェクトで堀内さんは全体のアートディレクションを担当。
この取り組みは国の内外から高い評価を受け、世界最大級の広告賞カンヌライオンズ2017で賞を受賞。
さらに有名アートティストのミュージックビデオでは、アーティストの世界観を独自のタッチで表現します。
電通のアートディレクターとして世に送り出した作品は数多の賞を受賞しました。
しかし昨年の夏、人生を左右する大きな決断をします。
「電通の堀内さんというふうに思われたくない。電通という看板が外れても自分はちゃんとこの世の中でやっていけるようにしていかなくちゃいけないと入社の頃から思っていた。」
去年11月、あるイベントが話題を呼びました。
2025年大阪万博をテーマにした展示会。
第一線で活躍するクリエイターが万博に興味を持ってもらおうと開きました。
様々な作品が展示される中、ひときわ目を引いたのが堀内さんの手がけたマスコットキャラクター。
「はじめて万博展」を主催した大阪のクリエイターは堀内さんの仕事を「単純に広告業界知ってる人じゃないとこうゆうキャラクターは特徴つかめないだろうなと思う。最初見た時は凄いな!と思ったけれど二回目からはめっちゃ可愛い!になってくる、そこらへんの技量もあるのかなと思う。どんな案件でも手を抜かないと思った。」と話します。
たま堀内さんも「広告代理店は基本的に受注仕事。だけどそれだけでは面白くない。受注仕事以外で仕事を繋げていったり新しい関係に繋げていったりを電通内でもやっていたので、この取り組みにはすごく共感する。」と話していました。
去年の夏、大手広告代理店電通を退職しフリーランスで活動を始め、大阪と東京を行き来する毎日を送っています。
そんな毎日の中、堀内さんが大切にしているもの。それは家族との時間です。
妻のななみさんは「少なからず前からそうなのかなと思っていた。この人の人生だから行きたい方へやりたい方へいった方がいいなと思った。」と話します。
大企業の肩書きを捨て、一人のクリエイターとして社会に関わっていく選択。
そこには表現者としての強いこだわりがあります。
「想いを持っている人に自分の想いで応えたい。想いが強い方がいらっしゃったら是非仕事をさせていただきたいなと思っています。」
故郷高鍋町。ある和洋菓子屋さんに堀内さんの姿がありました。
宮崎県奥日向の美郷栗を中心に使った、職人手作りの和洋菓子を提供する和洋菓子屋「日向利休庵」です。
幼なじみの弓削さんが事業を承継し、去年二月に立ち上げました。
堀内さんが去年からブランドマネジメントを手伝っています。
和菓子のパケージデザインを打ち合わせ中、弓削さんの要望を目の前で形にしていきます。
あっという間に想いがカタチになったパッケージデザインができあがり弓削さんは「ブランディングは大事。今まで自分でやってきたのでなかなか相談できる人がいなくて、しかもスキルを持っているこんな最高な方はいらっしゃらないと思う。」と堀内さんを称賛します。
堀内さんも「僕のスキルが弓削さんの為だったり、高鍋や宮崎県のためになるのであれば自分は役に立てたなと思える。」と嬉しそうに話します。
今年発行された日本の贈答品100選。
そこに、全国に名だたるメーカーが並ぶ中「日向利休庵」が宮崎の菓子屋で唯一選ばれました。
店の立ち上げからわずか一年で全国でも存在感を放つ店となりました。
人の役に立つことが存在意義。格好つけずに全力で。
故郷への恩返しが始まりました。
「どんなに格好つけたところで田舎者やしね。(笑)でもそれはいいこと。いいじゃんそれでと思っている。高鍋出身は誇らしいこと。面白い、わくわくするという気持ちが萎えてしまわないようにそうゆう気持ちは死ぬまで持ち続けていきたいと思っている。」と堀内さんは語ります。
想いをカタチにするアートディレクター堀内さんの益々の活躍が、これからも本当に楽しみです。